ほう太パパの七転び八起き

妻にナイショのブログじゃありません。

息子が宿題をしないことに対する不安は息子のことを思うがゆえなのだろうか。

小学2年生の息子が今日も宿題をしなかった。

今日もというと何日もやっていないように聞こえるが、昨日に続いて今日も、という程度でつまり2日間だけ。それなのに今日もやらなかった、と深刻に悩む自分がいる。

 

宿題をやらない息子に対して、あめとムチを使い分けながら、宿題の多さに共感したり君ならできるよと励ましてみたり、いろんな方法を試してみるがどれもうまくはいかない。息子はティッシュの箱が空になるほどに泣いて、晩ご飯も寝る時間も遅くなって、こちらもぐったりとして、息子が寝てひとりになったとき、ふと、こんな思いまでして宿題をさせることに意味があるのだろうかとぼんやり考える。

 

どうして宿題をさせようとするのか。そこには息子が宿題をしないことへの不安がある。ではその不安とはなにか。勉強についていけなくなるかも、という不安は確かにある。でもそれだけじゃない。たぶん、宿題は必ずやらなければいけないものという強い強迫観念がある。息子にではなく、私自身にだ。

 

それを裏付けるように息子が宿題をやってくれるとほっとする。その「ほっ」は、息子の学力がついた、という「ほっ」じゃないんだよな。やるべきことをやってくれた「ほっ」。息子のことを考えているようで、実はなーんも考えてないような。

 

最近、息子の指しゃぶりが増えている。小学2年生にもなって。それを思いかえすと、いま本当に必要なことは宿題を無理矢理にでもさせることじゃなくて、宿題ってめんどうだよね、いやだよね、できなくても大丈夫だよ、と声をかけて、楽しく食卓を囲んでぐっすり休むことなんじゃないのか。明日は宿題がんばろうね、と声をかけるくらいで十分で、きっと明日も宿題をしないと思うけれど、だからってペナルティーを与えるとかじゃなくて、次の日もまた同じように「明日は宿題がんばろうね」て優しく声をかけつづければいいんじゃないかな。そうしたらきっといつか、自分からできる日が来るんじゃないのか。僕が無理矢理に宿題をさせようとするのは、そんな日が来るはずはないと勝手に決めつけて、息子を信頼していないんじゃないのか。

 

今日、息子が寝るとき「本を読んでほしい」と言ってきた。そんな息子に僕は「何時だと思ってるの、早く寝なさい」と言ってしまった。本好きな子どもになってもらいたいと思って、リビングからテレビを撤去して本をたくさん置くようにしたっていうのに、せっかく息子が本を読んでほしいと言ってきたのに、それを無下にあしらってしまった。あのとき本を読んであげることが、どんなに遅い時間だったとしても、息子にとっては宿題をさせることよりも大切なことだったんじゃないかっていまになって思う。

 

明日はもう、宿題をやりなさいって言うの、やめよう。

そしてたくさん、本を読んであげよう。

宿題をさせることに力をそそぎすぎて、なんかとても大切なものを見失いそうなので、備忘録として残しておく。

 

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