ほう太パパの七転び八起き

妻にナイショのブログじゃありません。

前略 娘へ そのアザを受け入れる男性を見つけてください。

ぼくの、目に入れたらそれなりに痛いだろう娘の話をする。

娘が生まれたのは今からさかのぼること3年ほど前、蒸し暑い夏の日のことであった。

2人目と言うこともあり夫婦ともに少し余裕もあり、妻はひとりで早朝にタクシーで病院に向かい、ぼくは当時2歳の息子をたたき起こして「どうやらそろそろ生まれるらしいぜ」と話して聞かせた。

それを聞いた息子は、この殺伐とした日本で2年をサバイブしてきたプライドからか、はたまた生まれ出てくる妹になめられまいと思ったのか、おもちゃ箱に駆け寄るとサングラスを取り出し身につけた(実話)。そうしてぼくらは颯爽と病院へと向かった。

 

息子を連れての立ち会い出産。

息子のときと同じように、妻の肛門のあたりを、じゃんけんグーで押し上げていると「オギャ」と生まれた。ぼくは妻をほめたたえ、息子はサングラスをはずすと

「この人はお前のお母ちゃんであることに違いはねえが、すべからくおれが、このおれさまが優先されるわけであって、そこんとこ夜露死苦!」

とは言わなかったが、たぶん心情としてはそんな感じだったと思われる。

 

で、生まれてきた娘の手には、小さいながらアザがあった。

「蒙古斑みたいなものですよ」

助産師は笑って言った。

「消えるんですか? マジ消えるんですよね? これが元でお嫁に行けなかったらどうしてくれるんすか?」と早くもモンスターペアレントの片鱗を見せてしまいそうになったが、もちろんその助産師には何の非もないわけで、とにもかくにも母子ともに健康に生まれてきてくれたのだからとぼくは手打ちとした。

 

あれから約3年の月日が流れた。

娘はぼくによくなついてくれている。そのおかげというかそのせいで、ぼくは娘をよくトイレに連れて行くはめになる。ご飯の途中であっても平気で「うんち」とか言うもんだから、そのたびに食事を中断させられる。でもすべては愛しい我が娘のため。

便器の上に座る娘の正面でなぜかぼくもうんこ座りをして、向かい合って他愛もない話をする。時々、なんのためにトイレにいるんだっけと分からなくなるくらいに話し込むこともある。それでぼくが「終わった?」と聞くと娘は首を横に振る。話が終わってないのか、便が終わってないのか、分からない。

 

ある日、トイレで話していると、娘がぼくの腕の傷に気がついた。これはかんしゃくを起こした息子がウォーズマンのベアクローをくりだして引っ掻いたものだった。特別深い傷でもなんでもないんだけど、ぼくも年を取り傷の治りがすっかり悪くなった。

「そうそう、お兄ちゃんにやられたんだよね」

ぼくがそう言うと、娘が

「娘ちゃんは、これ」

と自分の腕のアザを指した。 

 

生まれてから3年が経つが、看護師が蒙古斑みたいなものと呼んだそれは消えていなかった。

ぼくは娘に「これはケガじゃないよ」と言った。「だって痛くないでしょ?」娘はうなずいた。「これは娘ちゃんが娘ちゃんであるしるしだよ」と言った。別にそう言おうと前々から決めてたわけじゃないけど、なんとなくそう言った。娘はきょとんとしていた。

 

思春期に差し掛かってもアザが消えなければ娘は気にするかもしれない。ぼくだって思春期にはおでこが広いことで悩んだものだ。(竹中直人に似ているとよく言われた)娘のおでこも広いような気もするが、そのことまで言いだすと話がややこしくなるので、とにかくそのアザを娘の一部分として受け入れてくれる男性を見つけてください。それが父からの願いです。

  

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