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ほう太パパの七転び八起き

妻にナイショのブログじゃありません。

お風呂で、じゃーん。

この物語は半フィクションです。

 

私には、2歳になる娘がいる。

ふりかけご飯ばかりを食べようとする彼女に、ニンジンを食べさせようとしたときのこと。娘は思い切りのけぞって、自分の身長の倍はある椅子からすべり落ちそうになった。(しかも、例えそこからすべり落ちようとも絶対に自分には助けの手が伸びると信じて疑わない落ちっぷり)

ときに、気が向いてにんじんを口に含んだとしても、そこで油断はできない。なぜならべちゃべちゃのぐっちゃぐっちゃにして吐き出したりするからだ。

牛乳をコップにそそがせろと言ってはテーブルの上に白い水たまりを作るし、すべての食べ物に大量のマヨネーズをかけて、さらにそのマヨネーズだけをなめたりもする。

 

保育園に連れて行こうとして、いつまでも遊んでばかりいるものだから、「もう、娘ちゃんをおいて、保育園に行っちゃおうかなー」と言うと「いーよー」と答える。

なんとか玄関まで連れて行き、エレベーターに乗って1階まで降りると、駐輪場ではなく敷地内の砂場のほうへ向かおうとする。もちろん無理矢理自転車に乗せれば、まるで私が誘拐犯のごとく号泣だ。

 

会社に着いた私は、ほっとため息をつく。例えそれが始業前のギリギリに駆けこむことになったとしても。だって私は、娘を保育園に預けるという重大かつインポッシブルなミッションを朝からこなしてきたのだから。それを私は朝活と呼んで、自分を納得させる。

廊下で同僚のAとばったり会った。Aは私の同期で、出産前には2人で飲みに行くこともあった。いまも同じ会社に勤めているのだが、Aとはフロアが違うのでそれほど頻繁には顔を合わせない。

「元気?」

「うん」

私はかすかに笑みを浮かべてうなずく。元気とはどういう状態なのか、思わずそんなことを考えてしまう。風邪は引いてないし、このあいだ戻ってきた健康診断の結果も、どこにも異常はなかった。しかしなんだろう、「元気だよ!」と元気に言う元気が、いまの私にはどこを探しても見当たらないようような気がしてしまう。

「娘ちゃん、2歳? もう歩きはじめた?」

娘は1歳を過ぎたころには歩きはじめていた。つまりもう、1年ほど前の話だ。

「うん、おかげさまで。どんどん歩くよ」

「大きくなってるんだろうなあ、また会いたいな」

「いつでも、会いにおいでよ」

そう答えてみるものの、具体的にAと会う日取りを決めることにはもちろんならない。

誤解のないように言っておくと、私はAに対して、育児の大変さも知らないくせに、と不満を覚えているわけではない。本当にAと会うとして、どこで会うのか、それが問題なのだ。

我が家だろうか。そうならば、台風が通り過ぎたあとのような部屋を片付けなければならないが、きっと娘は、私が片付けているそばから次々に別のおもちゃを引っ張り出してくるだろう。

たまった洗濯物もある。洗濯が終わっていても、たたまれずに放置されている衣服が大量に山積みされている。いったいあれをどこに隠そうか。

ならば、外でAと会うのはどうだろう。Aとよく行ったカフェとか? いやいや、あんな小洒落たところに2歳の娘を連れて行くわけには行かない。キッズメニューがないのはいいとして(それくらい自分でなんとかする)きっと子ども用の椅子さえないだろう。まあ、あったとしても、娘はのけぞって簡単に滑り落ちようとするだろうけど。

 

なんだかそんなことを考えていると、休日にAと会うのは、まるで登山にでも行くかのように腰が重くなる。

「じゃあ、また今度」

そう言って去って行くAの後ろ姿を、私はぼんやりと眺めた。そうだ、ランチにでも誘えばよかった。そのときになって私は思った。と同時に、昔のように共通の話題を持てるだろうかと不安になる。だってテレビも雑誌もほとんど見てないし。Aと一緒にランチに行くことにさえ、私には準備が必要なようだ。

 

仕事を終え、保育園に迎えに行く。帰り道のベビーカーを嫌がるので、娘と並んで歩く。娘と並んで歩くなんていうと、それだけでステキな親子が目に浮かぶかもしれないが、娘は手をつなぎたがらないし、コンクリートの脇に生えた草花をちぎっては側溝にまき散らすことにご執心だ。

私は家についてからの分刻みのスケジュールを想像しつつ、しかしここで娘の機嫌を損ねてはすべての歯車が狂うことを熟知しているので、とりあえずは温かく見守る。蒸し暑い空の下で。

なんとかかんとか、1人で歩くときの3倍以上の時間をかけて私たちは帰宅する。夏の終わりのいまであっても、家に着くころには汗だくだくだ。

 

娘との、食事という名の格闘を終え、お風呂に入る。

顔にお湯がかかるのをこわがる娘をなだめながら髪を洗い、体を洗う。体についた泡を洗い落とそうとシャワーに手を伸ばすと、そのすきに娘が私の背後に回り、浴室を出て行こうとした。

 

コラ、まだ流してない!

 

そう叫ぼうとした私の背中に、娘の泡にまみれた手が触れた。

 

「洗ってくれるの?」

私が後ろを振り向きたずねると「じゃーん」と意味不明な言葉が返ってくる。

なにそれ、と私は吹き出しそうになる。そういえば、ふりかけご飯を食べ終えて、空っぽになった茶碗を見せびらかしながら、同じ言葉を発していたっけ。

娘の力は洗うというにはあまりに弱々しく、ややもするとくすぐったいくらいなのだが、私の一日の疲れはその泡とともに排水口へと流れていく。そして元気が充電される。

 

とまあ、ここで終われば美談のひとつに数えられるのかもしれないが、お風呂からあがった娘はおむつを嫌がり、私は「コラー!」と叫びながら、全裸で走り回る娘を追いかける。あ、もちろん、私も全裸なのだけれど。

 

そんなこんなで部屋の電気を落とし、娘と布団に入る。

娘はなかなか寝ない。

かまうもんか、私のほうが先に寝てやる。

 

なんということのない、ただの日常。それが明日もあさっても続いていく。だけれど、十年もすれば娘はひとりでお風呂に入るだろうし、私の背中を流してくれることもあるまい。そんなことを思って、私は感傷的にはならない。そんな夢のような日が訪れたら、Aとよく行ったあの小洒落たカフェで毎日ゆっくりとコーヒーを飲もう。ときには娘を誘って。

 

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