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ほう太パパの七転び八起き

妻にナイショのブログじゃありません。

4歳の息子のなかで死はどのような形をなすのだろう。

4歳になる息子は、虫が嫌いというか苦手です。

おそらく苦手という感情が嫌いにつながっているのかなと思います。

実は私も虫が苦手で、一緒に虫をつかまえて楽しんだりすることができないため、その影響もあるかもしれません。しかしだからといって、アリの行列をバンバン踏みつける所作を放っておくわけにもいきません。

これは生命というものを教えるよい機会だと思い、

「このアリさんにもね、家族がいてね、だからこうやって踏みつけられると死んじゃって、おうちに帰れなくなって、家族は寂しい思いをするんだよ」

みたいなことを説いてみたのですが、まるで効果はなく、言った矢先からがんがん踏みつけました。

 

前置きが長くなりましたが、先日、保育園に息子を迎えに行くと、悲しいお知らせが掲示してありました。

保育園の先生が、お亡くなりになったとのことでした。

まだお若く、私とほぼ同じくらいの年齢だったのですが、急性のご病気だったようです。お亡くなりになる直前まで元気に働いていらっしゃいました。

 

私はその掲示を見て初めて訃報に接したのですが、4歳の息子たちにも担任の先生からお話しがあったようです。家に帰るとすぐに話して聞かせてくれました。

どのような話があったのか、息子の口から聞いただけですが、

 

**先生が動かなくなった

**先生はお星様になった

 

という説明があったようです。

「死」というダイレクトな表現を使われたのかどうかは分かりませんが、少なくとも息子はこの2つの表現を持って、死を受け入れていました。

 

私が身近な人を亡くしたのは、小学校6年生のときの祖母の死でしたから、ずいぶんと早く息子は身近な人の死に接することになりました。(亡くなられた先生は息子の担任ではなかったのですが、ちゃんとだれのことか理解していました)

お迎えに行ったときに、いつもよりも元気がなかったのでどうしたのだろうと思いましたが(そのときは、息子が先生の訃報を聞いているとは思わなかったので)もしかすると死を受け入れるのに時間がかかっていたのかもしれません。

 

しかしまだ4歳ですから、どれくらい死を認識しているのだろうと気になりまして、先生が亡くなったその日、晩ご飯を終えた後、もう一度息子と話をしました。

「今日、担任の先生が大事な話をしたでしょう? もう一度どんな話だったか聞かせて」

私がたずねると、家に帰った直後と同じように、先生が動かなくなったこととお星様になったことを説明してくれました。

 

私はそれほど具体的にたずねたわけではなかったのですが、息子はすぐに私の質問の内容を理解して答えることができたので「先生の死」を「大事な話」だと認識していたようです。

そして、さらにひとこと「先生にもう一度会いたい」と息子は言いました。これはお迎えの直後には口にしなかったことでした。

 

繰り返しになりますが、私は担任の先生から息子に訃報が伝えられているとは思いませんでした。そして、私が訃報に接したとき、自分の口から息子にそのことを伝えるつもりもありませんでした。つまり、4歳の息子にとって身近な人の死はまだ重すぎるだろうと判断していたのです。

ですが、息子は息子なりに気持ちを整理して、つたない知識ながらも、死を受け入れているのだと分かりました。安心する一方で、反省もしました。

 

その夜、私は息子と一緒に外に出て、星を見ました。

幸いにして、よく晴れた空でした。

星を見ることができた息子は、とても喜んでいました。

 

心よりご冥福をお祈りいたします。

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