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ほう太パパの七転び八起き

妻にナイショのブログじゃありません。

いま思い返すとなんてことないのに、幼稚園で無性にイヤだったこと。

保育園 育児

今日はぼくが幼稚園に通っていたころの話。

ぼくは年中と年長の2年間を幼稚園で過ごした。それまでずっと母にべったりだったから、たとえ「幼なじみと一緒に通うんだよ」「友だち百人できるかな?」なんて言われてもまったくうれしくなかった。あまりにも幼稚園に行きたがらないもんだから、両親が別の幼稚園の見学に連れて行ってくれたこともある。いま思えばありがたいことだけど、当時のぼくは「問題はそういうことじゃないんだよ」と思っていた。

 

その点、ぼくの息子はイヤイヤ言いながらもちゃんと保育園に通っていて、しかも1歳になる前から通ってるんだから、ほんとえらいなあと思う。そんな息子にも初恋らしきものがはじまったというか、家に帰り着いてからよく、ある女の子の話をする。寝る前のお布団の中でもその子の話をする。愛情表現が独特というか、あまりに好きすぎて「○○ちゃん食べる」とか言うから、ドキッとするよね(笑)

話がそれました。

今日は保育園での息子の話じゃなく、ふと思い出した、ぼくが幼稚園に通っていたころの話。

 

真っ白なスケッチブック

幼稚園のころのことだから、もう記憶も断片的だ。だから細かいところに突っ込まれると困るんだけど、ぼくのスケッチブックは真っ白だった。たぶん、みんなで同じ時間にスケッチブックに向かうということもやってたはずなんだけど、もしかしたら好きなときに好きなように描くように言われていたのかな、とにかくぼくのスケッチブックは真っ白だった。

ぼくはそのことを周りの友だちに知られやしないかといつもドキドキしていた。仮に見つかっても別になんてことないはずなのに、とにかく当時のぼくはそれだけは絶対にあってはならないことだと必死だった。だれにも見つからないように、自分の手荷物を置く棚の、奥底に隠していたような記憶もある。

別にぼくは絵を描くことが嫌いじゃなかったし、とりあえずなにか描いちゃえば白紙じゃなくなるんだけれど、その「とりあえず」がなかなかできなかった。みんなのスケッチブックにいろんなものが描かれていくうちに、ぼくはタイミングを逸してそれを開くことができなくなってしまったんだろう。

ある日、そんなひた隠しにしていたスケッチブックをついに友だちに見つけられてしまった。ああ、ぼくの人生はもう終わった、それくらいにショックを受けたような記憶がある(笑)だけれども、その友だちはぼくの白紙のスケッチブックを見ても特になにも言わず、すーっとどこかに行ってしまった。

なんだいまの態度は! こんなに重大な秘密を知ったのに、そんなささやかな、まばたきをしていたら見落とすようなリアクションなんてどういうつもりだ! そうか分かったぞ、ぼくのいないところで、ほかの友だちとこっそり笑うつもりだな!

そう思ったぼくは、園庭にあるちょっとこんもりした山に登って、ぼくの秘密を知った友だちを監視した。思惑通り、ぼくは友だちを見つけた。見つけはしたものの、ぼくのところまで話し声が聞こえるはずもなく、当時のぼくがいったいなにをしたかったのかはよく分からない。だけど、とにかくぼくは監視をした。そうして結局なにも起こらなかった(当然だ)。

 

うさぎのえさやり

ぼくの幼稚園の園庭にはうさぎが数匹飼われていた。そういえば書きながら思い出したけど、このうさぎが園庭を越えて車道に逃げ出したことがあって「みんなそこから動いちゃダメー!」って先生が叫びながら、車道に追いかけていったことがあったっけ。あ、ごめん、脱線した。

このうさぎのえさとして、それぞれの家から野菜を持ってきてもいいことになっていたんだけど、なぜかぼくはこのえさを家から持っていくことがとてもはずかしかった。それでもうちの母(このブログ内でも度々登場している、ひと癖もふた癖もある母)が「ほら、○○くん、これうさぎさんに持っていってあげなさい」とにんじんの皮を薄く切ったやつをくれた。

一応は受け取ったものの、ぼくは「まいった」と思った。こんなものあげたくない、うさぎにえさをあげてるところをだれかに見られたらどうするんだよ、とか思ってた。だから、ぼくは一度は受け取ったえさを、故意に玄関に忘れて出て行った。

そうして幼稚園バスに乗り込んだぼくのところに、母があわてた様子でうさぎのえさを手に近づいて来た。そして、たしか、先生に手渡して「うちの子が、うさぎのえさを持って行きたがらないんですよ」みたいなことを言ったと思う。そうしたら先生が「あら、○○くん、どうして? うさぎさんきっと喜ぶよ」的なことを言って母から受け取ったえさの袋をぼくに渡してきた。こうして故意に忘れたうさぎのえさが、またぼくの手に舞い戻ってきた、数分もしないうちに。

先生の言葉にぼくは「問題はそういうことじゃないんだよ」と思った。だからといって明確な理由を思い出せないんだけど、とにかくうさぎが喜ぶとか喜ばないとか、そういうことは無関係だったのだ。もともとぼくは動物好きじゃなかったら、うさぎに触れるのが単純にいやだったのかもしれないし、うさぎにえさをやっているところを、友だちに見られることが恥ずかしかったのかもしれない。かすかな記憶だけど、うさぎにえさをやるのは女の子がやることだ、なんて勝手な思い込みがあった気もする。

結局観念して幼稚園に着き、うさぎにえさをやった。その様子を、たしか先生がそばについて見ていて、にこやかだったけど、ちゃんとぼくがえさをやるかどうか見張ってるんだなと思った。まんまるとしたうさぎは、ぼくの手の平に顔を近づけて、にんじんの皮をガジガジとかんだ。くすぐったかった。それを眺めていたぼくは、不覚にもかわいいな、と思ってしまった。

 

幼稚園でのこのふたつの出来事は、いま思い返すとなんてことないのに、イヤでイヤでたまらなかったから、結構鮮明に覚えている。そしてこうやって記事として書いてみて思うのは、もう5歳くらいになっていると、大人のいろんな思惑というのをけっこう敏感に感じていたなあということ。だれもぼくのことを分かっちゃいない、なんてことさえ思ってたよなあ(笑)

うちの息子ももうすぐ4歳。さあ今度はぼくが気をつける番だ。

 

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