読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ほう太パパの七転び八起き

妻にナイショのブログじゃありません。

3歳の息子に「バカが!」と怒鳴ってしまいました。

保育園 育児

先日、3歳の息子に「バカが!」と怒鳴ってしまいました。どうも最近「やめなさい!」「ダメでしょ!」と怒鳴りがちで、そういう自分に嫌気がさしていたのに、人格を否定するようなひと言を発してしまったことがかなりショックで、すぐにはブログに書けないほどでした。

 

で、偶然このタイミングでこちらの記事(著者は狩野さやかさん)を読みまして。

子への苛立ちは断ち切れるか?――母が子を正論で追い込む : MAMApicks -子育て・育児・教育ニュース&コラムサイト-

こちらの記事では子どもを正論で追い込むことに焦点をあてているわけですが、「怒鳴る」という行為にもほとんどそのまま当てはまると思います。

 

まずはぼくが息子に暴言を発したきっかけについてお話ししようと思います。

f:id:houta30:20140803145204p:plain

 

体調を崩してばかりの娘

4月から保育園に通い始めた娘(先日1歳になりました)が、頻繁に保育園で風邪をもらってきまして、そのときも保育園を1週間以上休んでいたんです。病児保育を利用したり、夫婦で交互に仕事を休んで看病に追われていたり。そういうストレスフルな日々にあったので、ぼくの心身は決して良い状態ではありませんでした。

その日も自宅で娘を看病し、夕方になったので息子を保育園に迎えに行きました。家に帰り着き、仲よくふたりで遊んでいる様子だったので、いまのうちに夕食を作ってしまおうと台所に入りました。しばらくのあいだは順調だったんですが、ふとした拍子に、息子が娘の口になにか小さなおもちゃを突っ込んでいるのが見えたんです。

あとから思えばママゴトのつもりで息子は娘になにかを食べさせていただけなのかもしれません。ですがそんなふうに考える余裕がそのときのぼくにはありませんでした。

 

親の苦労を分からぬ子ども 

保育園から帰ってきた息子は手を洗っていませんでした。もちろん、真っ先に洗わせるべきなのは百も承知なのですが、いつもなかなかスムーズには洗ってくれなくて、、、手を洗わせるだけでも、イヤーって家中を走り回ります。そこを無理矢理洗わせたら、ずーっとギャーギャー泣き続けるわけですよ・・・。家事なんてなにもできないほどに。なので機嫌を損ねないようにタイミングを見計らって洗おうと思ったんです。

ところが、もちろん息子にはそんなぼくの思いなど分かるはずもありません。なんの悪意もなく無邪気に妹の口におもちゃを突っ込んでたんです、保育園で汚れているその手で。

それを見たぼくは、せっかく治りかけていた娘がまた風邪をもらったら、そして、娘の体に残っているかもしれない菌が今度は息子に感染したら、また仕事を休むのか、病児保育に預けないといけないのか、何回繰り返すんだ、もう、子どもが体調を崩すのはいやだーーーー!!! そういう諸々の感情が一気に吹き上げて、考えるよりも先にぼくは息子の腕をつかんで「バカが!」と怒鳴っていたのです。

 

怒鳴った自分を振り返る。 

怒鳴った瞬間、正直、自分のことが信じられませんでした。ぼくは子どもが好きだ(うちの子に限らず一般的な話として)と自負してましたし、それなりにうまく育児ができてると思ってました。そしてこんなブログを書いているくらいですから、情報収集(先人たちの失敗談などを目にすること)もある程度はできていたはずなのです。それでも「バカが」なんて言葉が出てくるんですね。

 

怒鳴って自己嫌悪の感情が襲ってきましたが、ぼくに怒鳴られてギャーっと泣き声を上げてる息子が目の前にいるわけで、ぼくは何度も「ごめんね」と言って抱きしめることくらいしかできませんでした。

 

幸い、怒鳴られたことを息子は引きずりませんでした(少なくともそう見えました)が、ぼくはというとモンモンとしていました。反省、自己嫌悪、そしてこんなふうに怒鳴るほどに自分は追い詰められていたのかとようやく認識しました。

娘の看病等で疲れがたまっていたのは自覚してたんですが、理性が働くより前に怒鳴ることがあるほどに追い詰められていたとは思いもしなかったんです。そしてこんな調子じゃ、子どもに手をあげることがあってもおかしくないと恐ろしくなりました。

 

夫婦で育児にたずさわるということ 

最初にご紹介した記事に戻るんですが、お父さんにはこういうことをしてもらえたら、という提案として次のようなことが書かれています。

母の怒りにさらされた子どもと戦いごっこでもして発散させるとか、「お母さん疲れてるみたいでひどく怒ってたね、今のはきつかったね、でも、○○をしなかったのはいけないことだよ」と、穏やかに気持ち受け止め係をするとか。

その後きっと自己嫌悪に陥る妻にコンビニでプリンを買ってくるとか、「ちょっとコーヒーでも飲んで来たら」と送り出すとか。

ここに書かれてることは正しい・・・そう思うんですが、それはおそらく、育児からある程度距離を保てているお父さんの場合ではないでしょうか。ぼくみたいに、妻と同程度に育児に参加していると、こういう余裕が持てないことが多い気がしています。

 

著者の狩野さやかさんが閉塞された育児環境を「危険な構造」と書かれているんですが、つまりお父さん自身も(お母さんと一緒に)この構造の中に入ってしまってることが少なくないのでは、と思うのです。特に育児に熱心なお父さんのいる家庭において。

そう考えると、きっとこれは語弊があるとは思うんですが、育児には夫婦が均等に(同程度に)関わっていくべきという、昨今の育児において是とされる考え方が果たして常に正しいのかと、少しうがった見方さえしてしまいそうになります。

 

もちろん夫婦がともに育児に関わっていても、上手に第三者の力を借りたりすることでストレスが過度にたまらないようにできれば望ましい育児ができるのだろうと思います。だけど、これはなかなか難しい。ついつい自分たち(夫婦)だけでなんとかしてしまいがちなんですよね。それは、ヘルプを求める余裕さえなかったり、ヘルプを求めることにハードルを感じていたり(実際にはそれほど高くなかったとしても)もしくは経済的な理由だったり。

 

それともうひとつ、夫婦が育児を分担できているのなら、互いにフォローし合うことでストレスを解消できるんじゃないか、と思われるかたがいるかもしれません。これはたしかにその通りで、ぼくも理想的なことだと思うんですが、例えばぼくが「バカが!」と怒鳴ったそのとき、妻は育児からは離れていましたが、その間、仕事をバリバリがんばっていて、だから仕事における疲れやストレスを抱えた状態で帰宅するわけです。そんな状態ですから、必ずしも心に余裕を持って帰宅後の育児にのぞめるとは限らないんですね。

 

もしくは性差という観点から、例え妻が育児における「危険な構造」にとらわれていても、夫はそれに飲み込まれず悠然としておくべきだ(しておくことができる)という話であるのなら、少なくともぼくには困難を極めることのようです。なのでなにかしらの対策・工夫を講じる必要があるのでしょう。ただし個人的には、ここであげた問題については、性差というよりも育児に関わる度合いのほうが影響が強いと思っています。

 

まとめ

  1. 育児における「危険な構造」におちいることはなにも妻に限ったことじゃなくて、夫でも十分起こり得るということ
  2. 夫婦が育児を分担することでそれを防げるかもしれないけど、ふたりそろって危険な構造に飲み込まれることもあり得るということ
  3. こういった事態を防ぐにはやはり第三者の力が必要だろうということ

 

最後になりましたが、狩野さやかさんの記事がぼくは好きです。だれしもが体験しているであろうことを、独自の観点で分かりやすくまとめられるんですよね〜。見習いたいです。万一誤解を与えるとよくないので書いておきますが、本記事は狩野さんの記事への反論ではありません。とても共感しながら書きました。

 

twitterやってます。

 

Facebookでも更新情報を配信中です。

ほう太パパの七転び八起き | Facebook

※ブログ記事へのコメントは可能ですが表示はされません。