ぼくは中学校の3年間を卓球部で過ごした。
卓球部に入った動機は、家族旅行で温泉卓球に触れたからだ。
これなら、運動おんちのぼくでもなんとかやっていけるかもしれないという、大変に失礼で安易な考えを持っていた。
あれは中学3年のときだったと思う。
珍しくクラスの担任の先生(卓球部の顧問ではない)が、卓球部の練習を見に来てくれた。
たぶん、先生はいろんな部活を見学してたんじゃないのかな。
その日、卓球部では、試合形式の練習をしていた。
すでに書いたように、ぼくは運動おんちだったこともあり、あまり勝ち負けにこだわるタイプじゃなかった。
そんなぼくだったけど、やっぱり担任の先生の前ではいい格好を見せたい。それなりに張り切っていた。
ぼくの対戦相手は後輩だったんだけど、残念なことに見事に敗れてしまった。
試合の結果を顧問の先生に報告に行くとき、担任の先生が来ていたこともあって、ぼくは照れ笑いをしながら「負けました」と報告した。
そしたら、ぼくにチャンスを与えるつもりだったのかは分からないけど、顧問の先生が
「もう一試合してこい」
と言った。こうしてぼくは、さっき負けた後輩ともう1試合することになった。
しかし恥の上塗りと言うか、救いようのないことに、 担任の先生が見ている前で、ぼくはまた負けてしまった。
「また負けてしまいました」
たぶん、そのときもぼくはニヤニヤと報告してしまったのだと思う。
すると顧問の先生が、思いっきり(とぼくは感じたわけだけど)持っていたバインダーでぼくの頭をはたいた。
そんなことを先生からされたのは、後にも先にもそのとき限りだ。
ぼくはそのときの先生から、真剣に物事に取り組む大切さを学んだ、
・・・
と思っていたが、それが正しかったのかどうか、今ごろになって疑問に思う。
当時のぼくはたしかに、
ああ、自分は試合に負けたのになにをヘラヘラとしていたのだろう、
と反省した。
先生、すみません! ぼくが間違ってました!
という気持ちになったのだ。
しかしそのことが、いま思い返してみると恐ろしくもある。
ひじょーに大げさに言えば、恐怖と痛みによって、思考することを制約されていたのかなと思わなくもない。
例えば育児において、本当に大切なことは叩いてでも教えるというような、なにかそういうことにも関係してくると思う。
ぼく自身はそういう考えに賛同しないし、いまだかつて息子にそういう形のしつけを行ったことはないけれど。
ところでぼく自身が親から叩かれていたかというと、実は母からは叩かれていた。
まあ、卓球部の例みたいに思いっきりとかじゃないんだけど、事あるごとに、額をばちんとやられていた。
しかし、こうやって書きながら思い返してみると、叩かれた思い出はあるけれど、なぜ叩かれたのか、その理由というか、しつけられた肝心の部分が思い出せない。
母から頻繁に(軽い力で)叩かれていたから、卓球部の先生の渾身の一撃を受け入れる土壌ができあがっていたのかな。
ところで余談だけど、卓球部で叩かれたことでもうひとつ心に残っているのが、一部始終を見ていたクラスの担任の先生が、ぼくになにも声をかけてくれなかったことだ。
部活の最中には声をかけにくかった、ということがあったかもしれない。
だけど、後日になっても(担任の先生なんだから毎日顔を合わすわけだ)なにも触れてもらえなかった。
先生の前で試合に負けて、顧問の先生に叩かれて、ぼくとしてはもちろん決まりが悪いわけなんだけど、だからといってなにも触れられないというのは、それはそれで寂しかった思いがある。
担任の先生としては気をつかってくれたってことなのかな。
だとしたら、少なくとも当時のぼくが求めていたことではなかったんだけどな。
今日はなんだか話がまとまらないんだけど、中学のときの部活動のことを思い出したので、書いてみました。
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