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ほう太パパの七転び八起き

妻にナイショのブログじゃありません。

他人の子どもと比べてしまう呪縛、健康でさえいてくれればいいという呪縛。

うちの3歳の息子は背が小さい。

ホルモンが正常に分泌されているかを調べるため(たしかそういう説明だった)半年に1回ほど子ども病院に行って、身長体重を測定する必要がある。

低身長というのは3段階あって、息子の場合、2段目と3段目の境目くらいにあるらしい。

もっとも低いとされる3段目に入ってしまうと、入院しての精密検査が必要なんだそうだ。

 

とはいっても、重篤な症状ではないので、普段の生活で低身長のことを意識することはあまりない。

「たくさん食べて大きくなろうね」と息子に言うことはあるけど、その程度のことは、どの家庭でも大なり小なり口にしてると思う。

 

ただ、やっぱり息子が低身長であることを実感することもあって、それは主に次の2つの場合だ。

 

ひとつは、公園などで遊んでいて、たまたまそこで一緒になったパパママと雑談を交わしているとき。

「何歳ですか?」

はまだよいのだけど、ときどき

「2歳くらい?」

と目星をつけて話しかけられることがある。つまり身長が低いために、小さい子どもに見られるのだ。

おそらく、自分の子どもとうちの子どもを見比べて、たぶんこれくらいの年齢だろうとあたりをつけているのだと思う。

 

そしてもうひとつのケースは、運動会などの保育園での行事においてだ。

同じクラスで子どもたちがまとまって行動するので、いやおうなくほかの子どもたちと見比べることになる。

息子のところで、ガクンと身長が下がっているのだ。

(ちなみに3歳くらいでは身長順に並ぶことはあまりない)

 

ぼくは、身長に限らず、自分の子どもと他人の子どもを比べることはしたくないと常日頃から思っている。

だけど、どうしても比較してしまう自分がいるのだ。なぜだか理由は分からない。

理屈ではなくて、例えばきれいなお姉さんについ目がいってしまうような、生理的な反応に近い。

そのことが、ぼくはとてもいやなのだ。

だけど、どうしたら比べずに済むのか、それが分からない。

 

他人の子どもと比べる呪縛に飲み込まれると、息子の劣っている(そうは思いたくないのに、そう思ってしまう)部分にばかり目がいってしまう。

 

例えば、おしっこをトイレですること。

これが息子はいまだにできない。保育園のお友だちは、ほとんどできているのに。

朝、息子を保育園に連れて行き、かごの中におむつを大量にストックしているとき、

 

ああ、なんでうちの子はまだおむつなんだろう。

 

と思ってしまう。

だけど、これは想像でしかないけど、もし保育園に行かずに家で育てていたのなら、いまだにおむつがとれなかったとしても、なんとも思わなかっただろう。

そもそも、おむつが何歳くらいではずれるのかも知らなかったくらいなんだから。

 

このように他人の子どもと比べる呪縛というのは、ぼくにとって、とてもあらがいがたいものだ。

なんとかその呪縛から逃れようとあがいてみるわけだけど、そのがんばりが行きすぎると、今度は新たな呪縛が顔をのぞかせてくる。

それが、

 

健康でさえいてくれればいい

 

という考え方だ。

  

3年前、息子が生まれたことを電話で報告したとき、ぼくの母がこういうことを聞いてきた。

 

「ちゃんと五体満足で生まれてきたのね」

 

息子が生まれてとても幸せだったんだけど、それを聞いた一瞬だけ、ふいに違和感を覚えた記憶がある。

祖父母からすれば、当然の感情なのかもしれないけど、ぼくはこの考えもひじょーに危ういものだと思っている。

それは五体満足でなかったり、なんらかのハンディを負って生まれてきた子を、はなから不幸な人生だと決めつけてしまうおそれがあるからだ。

ぼくがそういう考え方をするようになったのは、乙武さんの著書の影響が大きい。 

五体不満足

五体不満足

 

とはいえ、周りのお友だちと比べて身長が低かったり、トイレでおしっこができなかったりする息子を見ていると、

まあ、健康でさえいてくれればいいか、

などとついつい思いがちだ。

  

他人の子どもと比べるのではなく、その子のありのままを受け入れることは大事なことだろう。

しかし、だからといって、健康でさえいてくれればいい、という考え方をするようになると、それは思考するのを放棄しているのではないかと思う。

大事なことは、例え生まれつきハンディを負っていたり、大病を患ったりしたりしても、その子にとっての最大の理解者でいることではないだろうか。

(遠く離れた場所に住む祖父母のように 、実質的に育児に関わっていないのなら、そんなに神経質にならなくてもいいと思うけど)

  

他人の子どもと比較してしまうこと、そして健康でさえいてくれればいいと思うことは、どちらも我が子の幸せを願う気持ちが、ほぼ真逆の方向に表れているのではないかと思う。

しかしそういうことにとらわれすぎず、自分の子どもが、いまどんなことに感心を持ち、生き生きとした表情を見せているのか、そういうことを見逃さないようにしたいなとぼくは思う。

 

ところで、他人の子どもよりも身長が低いことを実感した運動会でのこと。

4人で走るかけっこがあったのだが、息子は最下位だった。

しかも3位のお友だちに大差をつけられて。。。

 

ところが、親バカになるけど、息子は終始めちゃくちゃ楽しそうに走ったのだ。

ほかのお友だちが早々にゴールしてしまったので、おのずと声援が息子に集まった。

それがうれしかったのかどうかは、よく分からない。

だけど、にこやかな聖火ランナーのように、てくてくと走っていった。

 

そのときの息子の笑顔をぼくはずっと忘れないでいたいと思う。

 

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