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ほう太パパの七転び八起き

妻にナイショのブログじゃありません。

体調を崩した息子、いらだつ妻、やさしいぼく。それなのに・・・。

2013年末、3歳の息子が体調を崩した。

ほとんどの病院が年内の診察を終えた29日の明け方、まるで見計らったかのようなそのタイミングで高熱を出した。

朝になって、急患センターまでタクシーで行ったら中耳炎が判明して、即、両耳の鼓膜を切開。

その後も通院を続けるという、なかなかハードな年末年始だった。

 

ところで、どこの家庭でもそうなのか、我が家だけなのかはよく分からないけど、体調を崩した子どもというのは、無条件にママを頼るように思う。

これが当然のようで、ぼくには不思議でならない。

 

息子と接している時間は妻とほとんど変わらないのに、というか下手したらぼくのほうが長いくらいなのに、体調を崩した息子は「ママ〜ママ〜」を連呼する。

小児科につれて行くのはぼくの仕事で、このときだけは、近くにママがいないからぼくにべったりしてるけど、家に帰り着いた時点でそれは終わるんだよね。

 

家の中でなにかの用事で妻が息子のそばを離れただけで「ママ〜」と泣き叫び、トイレにさえ一緒に入っていこうとする。

ほんの一瞬たりとも離れたくないし、近くにパパがいたところでなんの効果もない。

 

さすがに妻もストレスがたまるようで、息子への風当たりが強くなったりする。

だけど、それでも息子は妻のもとを離れようとしない。

妻のいらだちに気づいているのかいないのか、そんなことお構いなしに性懲りもなく妻にべったりとしている。

 

さらに分からないのは、就寝中のことだ。

こう言うと語弊があるけど、はっきり言って夜中の妻は息子にやさしいとは言い難い。

体調を崩した初日くらいは母性が強くなるのか献身的なんだけど、二日目以降は、寝付きが悪くぐずる息子に大きなため息をつき、時には声を荒げ、抱きかかえて背中をたたく手が強くなる。

 

どう考えても、ぼくのほうがやさしく看病することができると思うのだ。

だけど、ぜーーーーーーったいに、息子は「ママ〜」と言って、ママの布団に潜り込み、寄り添うのである。

どんなにぼくのほうが妻よりもやさしい言葉をかけたとしても、無視どころか、あっちに行けと邪険に扱われたりする。あまりにも理不尽なこの三角関係。

 

イライラをいまにも爆発させようとしている妻、いや、すでに爆発させたあとでも、息子はママのもとへしか行かない。

ぼくは黙って、その慈愛に満ちたとは言いがたい親子の光景をながめているしかない。

 

わけわかんねーよ。

パパのほうに来ればいいのに。

そう思いつつも、なにもできない。だって、まったく相手にされないんだから。

 

くやしい。

ぼくのほうがやさしいはずなのに。

あまりにも理不尽だ。

 

そう思って、ぼくはちょっとだけ寝ている妻と息子を観察してみた。

そして、ひとつだけ、ぼくが気がついたことがある。

 

夜中の妻は、大きなストレスを抱え、機嫌も悪く、息子へのあたりかたも強いけど、ちょっと息子が苦しい声をあげただけで、ちゃんとその小さな体に手をそえるのだ。

ほぼ無意識といっていいレベルのように思う。

眠ったまま(そう見える)体が自動的に動いて、息子の背中をさするのである。

 

ぼくだって時には夜中に目を覚ます。

しかしよく考えると、それは息子の苦しい声で目を覚ましているのではなく、イラだった妻の声で目を覚ましているのだ。

つまり、先に目を覚ましているのは常に妻であり、おそらくはぼくが目を覚ますよりも何倍も多い回数、息子のために目を覚ましているのである。

 

息子を思う気持ちは妻に負けてないはずだけど 、夜中にちゃんと目を覚ますことができるか、と聞かれるととたんに自信がなくなる。

眠っているあいだは、意識がない。

だから、いくら体調を崩した息子のために目を覚ましてやりたいと思っても、努力でどうこうなるものではないのだ。(はなから寝ないという選択肢があるかもしれないけど、たぶん寝ちゃう)

 

なるほど、息子は、こういうところで本能的にママを頼っているのかな、と思う。

だからこそ「パパ〜」ではなく「ママ〜」なのだ。

 

男性も積極的に育児に参加しましょうと言われて久しいし、ぼく自身、育児にたずさわっている自負はある。

だけど、今回のことのように妻と息子のあいだに、いまのぼくにはとうてい太刀打ちできないような絆を感じることがあるのもまた事実なのだ。

そういうことに改めて気づかされた、年始めでした。

 

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