ほう太パパの七転び八起き

妻にナイショのブログじゃありません。

子育て中の妻という、混沌、畏怖、あるいは愛すべき存在

こちらの記事

妻の不機嫌ループ ~困惑する夫たちに捧ぐ~

を読んでぼくは今日のエントリーを書く決意をした。

実はこのブログは妻に内緒で書いているのだが、そしてもうすぐ妻にこのブログの存在を打ち明けようと思っていたのだが、妻に告げる前に本エントリーを書くべきである、という考えにいたった。

 

リンク先に書かれているような子育てに積極的でない男性がいるのは事実だろう。そういう男性は育児に興味があまりないのかもしれないし、ほんとうは子育てしたいけど仕事が忙しく時間がとれないのかもしれない。いずれにせよ、育児に積極的でない男性に、物申したくなる気持ちは分からないでもない。

しかしである。

育児に協力的な男性がいるのも事実なのだ。おっぱいこそあげれないが、ミルクをあげたり、おむつを替えたり、お風呂に入れたり、家事の半分を引き受けたり。

そういう男性もいるということを忘れないでくれ、

・・・というような、そんな些末なことを言いたいわけではないのである。

 

実は、現実に、現場で起きている実態は、キーボードを打つ手が震えるほどに、もっとおぞましいものなのだ。

 

例えばリンク先に次のようなことが書かれている。

夫が朝食後に新聞を読めることも、ひとりで本屋に行けることも、酒を飲んで酔っ払えることも、好きな時間にトイレに行けることも、仕事に好きなだけ時間を使えることも! 自分のペースで動けるその状態がうらやましくて、なんだかねたましい。

ぼくはこう見えても、育児に協力的な男性の端くれだと思っている。そのぼくの実体験に基づいて言えることは、朝食後に新聞を読まなくても(そんな時間、育児が忙しくてないよ)ひとりで本屋に行かなくても(息子とふたりで行って、絵本コーナーでお守りをしているさ)、下戸であっても(酒は一滴も飲めない)、トイレに行くときは生まれたばかりの娘をスリングに入れて一緒に入っていても、それでもやっぱり、妻は機嫌はよくならないのである。

リンク先の記事では夫が育児に消極的である、もしくは努力が空回りしているせいで、妻が不機嫌になるかのように書かれているが、おそらくは完全に理想的な態度で妻に接したとしても、やはり子育て中の妻というのは機嫌が悪いものなのである。

つまり、ぼくら夫の努力というものは基本的に報われることはない。小さいころ、努力は必ず実るというような言葉を耳にしたことがあるが、世の中には実らない努力もあるのである。そのことを自覚すべきである。まずはそこからスタートするのだ。

リンク先では、共感が大事、夫に一日子どもを預けてみるとよい、と書かれている。そのことに異論はない。

しかしである。その効果はもって数時間、一過性のものなのだ。すぐにまた、不機嫌ループが始まるのである。それは紛れもない事実だ。「あれ? ついさっきの、あのにこやかな妻はどこに行ったのだろう……」なんてことが、何度あったことか。

妻に共感を示せば、もしくは自分が子どもの面倒を一日見ていれば事態は好転するだろう、などと新参者のパパは甘い幻想を抱くのである。それは非常に危険なことだ。効果が得られなかったときの落胆が激しすぎる。事態は好転などしないのだ。

 

ただし、誤解してほしくないのは、ぼくは妻を責めているわけではないということだ。 

共感なんてしても意味ないんだよ、やるだけ損損、

というようなことを言いたいわけでも、もちろんない。

 

共感は大事だ。育児に積極的であることももちろん大事だ。しかしながら、妻の不機嫌ループが逆回転するようなことはあり得ないことであり、生温い期待など抱かないことが肝要である、と言いたいのである。

なぜなら報われなかったときのうちひしがれ感が、半端ではないからだ。はっきりいって妻に悪意を抱くこともあるだろう。だから妻の機嫌がよくなることなどない、あったとしてもそれは一過性のものである、という諦念を持つことで結果的に夫婦ともどもハッピーになれるとぼくは確信している。

 

妻は、四六時中、子どもに気を配ってストレスを感じているのだろう。だが、ぼくら夫も、四六時中、いつ妻の逆鱗に触れるとも分からないスリリングな環境に身を投じているのだ。(さっきまでの妻が機嫌がよくとも、決して油断はできない)

だけど、それでいいではないか。中身は違えど、お互いに同程度のストレスを抱えて育児に携わっているのだ。

夫の対応ひとつで夫婦間の絆が深まるようなこと(そうであるのなら、どんなによいことか!)は幻想であり、結局は互いに相容れない存在なのである。そういう意識を互いに持つことによって、初めてパートナーとして認め合い育児に専念できる、とぼくはそう考えている。

間違っても、自分の努力が実らないといって、妻を責めるようなことをしてはならない。夫婦とは、信長と秀吉の関係に似ている。秀吉は信長に気に入られようと懸命の働きをするが、サルと呼ばれ、無理難題を押しつけられ、時には自分の身を危険にさらすようなことにさえなる。だからといって秀吉は、謀反を起こすようなまねはしなかったではないか。いちいち努力が実らないと、くさくさしてはいなかったのだ。

ぼくら秀吉は、神仏さえ凌駕する信長様を前にして

「でかしたぞ、サル!」

と呼ばれて涙するのである。それでちょうどよいのである。身の程をわきまえるべきである。いつか天下人となるその日まで。

 

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