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ほう太パパの七転び八起き

妻にナイショのブログじゃありません。

子どもから「どうして勉強をしなくちゃいけないの?」と聞かれたら

毎朝、早くから学校に通って、受けたくもない授業を受けて、たくさんの宿題を出されて、宿題をしてこなければ怒られて、「なんで勉強なんかしなくちゃいけないのさ」そう思ったことは、誰しも一度や二度ではないと思います。

学校で習うことを知らなくても生きていけるよね?

「分数の割り算ていつ使うの?」とか聞かれると、けっこうギョッとしたりしませんか? でもまあ、そういうことを言い出すと学校で習うことの大部分には当てはまるわけで、江戸幕府ができた年を知らなくても、読書感想文が書けなくても、ピーマンの特産地を知らなくても、生きていく上で困ることはほとんどないわけです。

「どうして勉強をしなくちゃいけないのか」という表現自体がちょっとおかしいよ。

論点をずらしているようですが、まずは疑問そのものに着目したいと思います。ぼくが思うに子どもたちは毎日勉強していてもいい立場にいると思うんです。「勉強をする権利がある」と言い換えてもいいかもしれません。

なので、もしも自分の子どもが勉強をしたくないというのであれば、「そうか、それはもったいないね」と言おうかと思います。例えるなら、せっかく宝くじが当たったのに、それを賞金に代えるのが面倒だから捨てているようなもんです。

どうして勉強をしなくちゃいけないのかと疑問を持つことは大事

自分の子どもがこういう疑問を持つようになったら、喜ぶべきことかもしれません。ただなんとなく、周りに流されて勉強するよりもはるかによいことだと思います。(ぼく自身、大人になるまで流されて、もっと真剣に悩むべきだったと後悔しています)

なんらかの答えを自分のなかにもっていないと、「勉強をしなさい」と言ってくれるひとがいなくなった時点で、ぱたと学ぶことをやめてしまうのではないでしょうか。

大人になると勉強するのにお金と時間を取られます。

子どものころは勉強嫌いだったのに、なぜか大人になると勉強に目覚めるひとがいます。例えば英会話教室などがあります。高い受講料を払って、仕事帰りの限られた時間を利用して勉強します。ああこれが、十年前だったら、受講料もいらず(最低限の授業料で)たっぷり時間もあったのにね。

では英会話教室に通う大人であれば、子どもからの「どうして勉強しなくちゃいけないの?」に答えられるのでしょうか。「海外出張が決まったからだよ」うーん、一理あるかもしれませんが、ぼくはなんとなく違う気がします。

 もちろん、大人になったとしても勉強をすることはすてきなことだと思いますけれども。

勉強よりもやりたいことがあれば、それをがんばればいいんじゃない?

誤解を恐れずに言えば、ゲームをするのが好きならばとことんゲームをしたらいいし、マンガを読むのが好きならばとことんマンガを読んだらいいと思うのです。もしかしたら、その子はゲームクリエイターや、売れっ子漫画家になるかもしれません。

ただ、やりたいことをひとつにしぼるのはリスクが大きい気がします。もちろんオリンピックやW杯を目指しているという特殊な環境の子であれば話は別かもしれませんが、一般的な子どもにおいては、可能性をせばめてしまうだけのような気がします。

具体的な数字をあげれば、10個くらいはやりたいことを見つけてもらいたいと思います。もしも勉強以外にやりたいことが10個見つかっているのであれば、ぼくはその子は勉強をやらなくてもいいと思います。その10個を集中してがんばるべきです。

ぼくはその子が生涯を捧げてやるべきことが、すでにその10個のなかに含まれていると思います。

やりたいことが見つからなければ

やりたいことが見つからない場合には、見つける可能性を少しでも高めることが重要だと思います。

つまり、経験や知識を増やすということです。

いままでやったこともないダンス教室に通ってみましょう。海外文学を読んでみましょう。なんでもいいと思います。まずは経験と知識を増やすことが大事です。そうすることで、自分がやりたいことを見つける可能性を高めるのです。

なんでやりたいことを見つける必要があるんでしょう? それは人生が豊かになるからです。幸運なことに、というか不幸なことにというか、ぼくらは生きる意味を見出せないとなかなか生きられないやっかいな生き物だと思います。

そして、経験と知識を増やすための手っ取り早い方法が、実は勉強なんじゃないでしょうか。子どもたちには、好きなだけ学ぶことができる学生時代に、思う存分勉強してもらいたいと、ぼくは思っています。

これがいまのところの、ぼくの回答です。

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