長男と一緒に不登校を楽しもう

小3の長男が不登校になりました。

長男の不登校を両親に打ち明けたら、育児放棄を指摘され、妻が仕事を辞めないのはなぜかと問われた話。

久しぶりに扇動的なタイトルをつけてしまったが、それくらいに僕にとってショックの大きい一日だった。まるで自分しか見ることのない日記に殴り書きするようにいまから書いてしまいそうだが、ここはインターネッツ!! 不特定多数の世界中の人々に発信することになると思うが、それでもいいや、という心境である。いま、ここで吐き出すことが僕の心身を健全に保つために必要だと思うから。

 

長男(小3)の不登校についてはいままでもブログにしたためてきたが、夏休みを明けても登校のめどが立たず、仕事を遅刻したり職場に連れて行ったりということに限界を感じてきていて、ついに実の両親に打ち明けた。

 

僕の両親、特に母親は僕と似たような性格、考え方をしているので長男の不登校を打ち明ければかなり心配をかけるであろうことは容易に想像がついた。案の定、打ち明けたその日の夜には片道4時間をかけて飛んできてくれた。もちろん、両親に打ち明けるというのは、長男のそばに日中いてほしいという要望とセットであり、飛んで来てくれたことにはとても感謝している。

 

ただ、両親に打ち明けた電話のなかで、長男に長い時間留守番をさせていることを心配するあまり、両親から「育児放棄になってしまうよ」と指摘された。特に父にしては珍しい語気で。そのことがひどく僕の心を傷つけたのである。

 

なぜこんなにもショックを受けたのか、分かるようで分からない。無意識に考えまいと心の奥底に押し込めていたうごめく感情を、クリティカルにつつかれたのだろうか。たしかに小3の子どもに、長いときで半日近くひとりで留守番をさせていたのだから、育児を放棄していると言われても仕方がないのかもしれない。夫婦ともに職場につれていけるときはそうしていたけれど、どうしようもないときは留守番をさせていた。また留守番をさせてみて、そのあまりのつまらなさに、やっぱり学校に行こう、となってくれないかという期待もあった。しかし結局八方ふさがりになったから、両親に相談したんだけどね。そこをくんでもらえなかった、つらさなのかな。

 

さらに追い打ちをかけるように言われたことが、妻が仕事をやめることを考えないのはなぜか?という問いかけ。僕の母は専業主婦だったし、時代も時代だったから、そういう発想はごくごく自然なものなのかもしれない。いまはなにをさておいても、長男のことを第一に考えるべきだと。

 

いやね、正直に言うと、妻が仕事を辞めるなんて発想はみじんもなかった。そのことに正直自分でも驚いている。というのも、かつての僕であれば両親と同じように考えてもなんの不思議もなかったからだ。

 

しかし、3人の子どもを育てていくなかで、妻が仕事を辞めるなんて選択肢は僕の頭のなかからきれいさっぱり消えていた。なぜか、と説明するのはすごく難しいけれど、仮に妻が仕事を辞めて長男につきっきりになったとしても、長男にとってよい作用があるとはまるで思えなくなっている。

 

妻にとって仕事はとても大切なものだし、妻もメンタルに不調をきたしやすく育児のストレスをかかえこみやすいし、そもそも仕事と育児を秤にかけるという発想が、もう僕のなかであまりにもナンセンスになっている。きのこの山と、たけのこの里を比べるくらいにナンセンスなのだ。でもだからこそ、人々はその議論に取り憑かれるのだろう。

 

いまの僕の心境について、どんなに言葉を尽くそうと両親には理解してもらえないだろうという、変な確信がある。いや、言葉を尽くす気力が、僕のなかにもう残っていないのかもしれない。

 

以上のようなことを両親から言われて、ガーンと鉄槌のようなもので胸をはげしくうたれたのだが、これは絶対に妻には打ち明けられないと思った。

思ったのだが、しばらくして、いや、これは伝えておかないと、のちのち何かの拍子に耐えきれなくなった両親が妻に、その言ってはならない一言をもらすのではないか、そのことに恐れをいだいたのである。であるならば、両親の考えをそれとなく伝え、万が一に備えておいたほうがよいのではないか。備えあればなんとやらである。避難訓練とでも言おうか。面と向かって言われたときのショックを多少はやわらげるかもしれない。

 

かといって、僕の口から妻にこのことを話せなかった。話せるわけないではないか。どんなふうに言葉を選んで話そうとしてもこれは厳しい戦いになるという弱腰。で、ブログなのである。

 

このブログは妻も見ている。おそらくこの記事も見るだろう。でもなんか、ブログ経由であくまで一読者として、まるで他人事のように読んでもらったほうがショックをかろうじて軽減できるのではないかという都合のよい解釈。どうか、やわらかく、妻のもとに届いてほしい。

 

さてこのまま締めくくると、毒祖父母などと僕の両親がたたかれそうなのでフォローをしておかねばなるまい。

 

両親の思わず口から漏れ出た言葉は、なんの不思議もない、孫を愛するゆえのごくごく自然なものであろう。僕だって自分の子どもから、孫が不登校なのだと打ち明けられたら気が動転し、言わなくてもよいいろんなことを、あれもこれもと僕の両親以上に口走りそうである。

 

長男の不登校が発覚して、約2ヶ月が経過して、ようやく僕はこの心境なのだ。そりゃあ2ヶ月前はあせったもん。ツイッター読み返せばはっきりする。だから両親の今日の反応は正常。毒祖父母じゃない。炎上要素はない。

 

ましてや両親は片道4時間をかけてすっ飛んで来てくれたのだ。70歳も近いというのに。ありがたいことではないか。多少の小言があっても、補ってあまりある行動力である。

 

そういえば、今回のことで思い出した。長男はそれはもう体調をひどくくずす子で、3歳になるまでに5回の入院をした。そのとき、僕は妻にこう言ったのだ。

 

「ねえ、君が仕事を辞めて長男くんを家で見たほうがいいんじゃないかな」

 

なるほど、なるほど。今日、両親から僕が言われた言葉とおんなじではないか。あのころの僕はそういう思考をする人間だった。それがこんなにも変わるのだから、人間ておもしろい。

 

入院を何度も繰り返す長男を見て、ああ、元気でいてさえくれればそれだけでいい、と心から思ったあのころ。あら、てことは、不登校なんて取るに足らない問題でしょ? ちがうかしら。

 

あー、久しぶりに、感情を吐き出した。

 

最後にひとこと。

ありがとう、お父さん、お母さん

 

 

ファミレスのモーニングに行ったら、モーニング以外のメニューを食べると長男が言い張り、1時間半待つことになった話。

 

不登校の長男(小3)、夏休み明けが登校を再開するよいチャンス(僕視点)だったのですが、やはりうまくいかず。

平日は留守番で家に引きこもりがちなので、週末は少しでも外に連れ出そうと、ファミレスに朝ご飯を食べに行きました。

ファミレスに行くのさえ嫌がることもありますが、この日はOK。長男と次男(2歳)と僕の3人で朝ご飯を食べに行きました。長男は、ちょと前に同じファミレスで食べたカレーとナンのセットを楽しみにしていました。しかーし、これは完全に私のリサーチ不足だったのですが、朝に注文できるメニューが限られていたのです。長男が楽しみにしていたカレーとナンのセットは10:30からしか注文できないと。

 

このとき、時刻は9:00。

まあ、ふつうは他のメニューで妥協するところでしょう。

しかし長男は違います。ぜったいにカレーとナンのセットを食べるのだと。

もちろん僕も

「モーニングのなかにこんなメニューがあるよ」

といっぱい提案したのだけど

「ぜったいに食べない。もうぼくの人生は終わった」

とまで言いだしました・・・こうやって書くと冗談みたいに聞こえるけど、現場はいまにも長男がブチ切れるか、号泣するかという一触即発の事態だったのです。

 

こういう長男の言動にはさすがに慣れてきた、というか、どうしようもないので、長男には悪いけれど、僕と次男の分だけを注文。このときまでは、僕と次男の食事が終わった時点でファミレスを退出して、帰りにコンビニででも長男の好きなものを買って帰るつもりでした。

 

僕と次男の朝食が終わった9:30。

長男にお店を出ようかと声かけするも、まだまだ、ぜったいにカレーとナンを注文するの一点張り。あと1時間あるんだよ、と言っても「待つ!」と。

 

それでこちらも覚悟を決めて

「よし、待とうや。 10:30まで待とうや!」

と言ったら、急に長男の気持ちが落ち着きました。

それまでに、別のメニューの提案とか、僕や次男の料理から長男が食べそうなものを分け与えたりしていたのですが、そういうのはまったく長男の心に響かなかったんですね。でも、この、10:30まで待つというこちらの覚悟を見せたのが功を奏し、急に僕が分け与えた料理を食べ始めました。もちろん、10:30までは待つんですけれどね。

 

10:30になってカレーとナンのセットを注文し、ようやくありつけました。

 

で、これも長男の不思議な長所なんですが、あれほど待ち焦がれて届いたカレーとナンのセットを、僕と次男に分け与えてくれるんですね。昔からシェア精神の旺盛な長男です。食べることそのものより、注文したものが自分の思い通りに手元に届くというその過程が大事みたいです。

 

その夜、明日からの留守番(不登校なので)がイヤだと言い出して、でもこのときちょっと違ったのが、小学校に通うことに少し前向きな姿勢を見せたこと。

 

教室に行かなくても済むのか? 友だちに会わなくても済むのか? お迎えに来てくれる? とか、本人なりにいろいろと考え、迷っている姿を見ることができました。それらの質問に、基本的にはすべて前向きな返事を返し、

「心配することはなにもない、長男くんの望むような形になるよう、お父さんもがんばるよ」

と言い続けました。

 

でも、結局月曜日は小学校には行けませんでした。しかし火曜日に、小学校の正門まで行けるのです。その話は次回へ〜。

 

不登校をやめるなら、任天堂スイッチを与えよう。それでどうだ?

ふいに思いついたんですよ、

「いままでのように小学校に通えたら、任天堂スイッチを買ってあげるよ」

そう言ったら長男は小学校に通うだろうかと。

 

厳密に言うと「買う」というのは違います。

いまも我が家のどこかで眠っているはずなのです。かくいう私もどこにあるかは知らず、妻が保管している。

 

実は昨年のお正月にスイッチを買って、ゼルダやマリオを長男と楽しんでいたのですが、あまりにも長男がのめりこみ、それは中毒といってもよいほどで日常生活に支障が出ました。それでスイッチをできなくしたのです。詳しくは過去の記事をご覧ください。

子どもにゲームとスマホ(YouTube)をやめさせるためにやったこと。 - 長男と一緒に不登校を楽しもう

 

でもいまもゲームが好きなことに変わりはなく、もしかしたらゲームOKにしたら小学校に行くのではないかと。

 

でも冷静に考えて、これは諸刃の剣というか、禁断の果実というか、絶対やっちゃダメなやつだなあと気がつきました。

 

もしかしたら学校に行けるようになるかもしれません。だけど、それはとうてい長続きしなさそうだし、そうまでして学校って行かせるところなのかなとも思います。

それに、長男にゲームを許しても、当日の朝に「やっぱり学校行かない」という可能性がとても高いです。そうなったら、たぶん私、イラーッとなって我を忘れそうです。

 

ちなみに、学校に行けたらゲーム、というのも無理です。長男になにかを我慢したらご褒美というやり方はまるで通じないです。めっちゃ、荒れます。

 

もしゲームを与えたのに、学校に行かなかったとき、またゲームを取り上げるのか?という問題もあります。

それはあまりに酷というものでしょう。

長男の自尊心、自己肯定感を根こそぎ傷つけそうだし、私への反感も凄まじいでしょう。

 

冷静になれば上のように考えられるのだけど、やっぱり私は心のどこかで長男を学校に行かせようと考えていて、ふとしたときに、「ゲームをやらせてみたら?」なんて考えてしまうのです。いけない、いけない。

 

最後に、少し脱線するんだけど、本当は私、長男とゲームで遊びたいんだよなあ。そもそもスイッチは長男に頼まれて買ったものではなく、私が長男とやりたくて買ったものでした。

 

でもどうしても長男はゲームを楽しむためのルールを守れなかったんです。ルールなしで好きにやらせるというのも試してみましたが、本当に寝食を忘れるのめりようで、ゲーム好きの私から見ても、いや、ゲーム好きの私だからこそ、これはマズイ感じだ、と思ったのです。

 

いつかまた長男とゲームやりたいなあ。