ほう太パパの七転び八起き

妻にナイショのブログじゃありません。

育児で「うつ」になった妻と離婚する夢を見つつもなんとかここまでやってきた話

この記事は、出産後のパートナーが鬱(うつ)と診断された、もしくはそのように見える、そして子どものことは大好きだけれどそんなパートナーとの生活を今後続けていけるだろうかと悩んでいる男性に向けたものです。それ以外のかたにとっては不快な内容を含む恐れがありますので閲覧をお勧めしません。あと、私の妻の監修を受けた上で公開していることを申し添えておきます。

 

前段をご了承いただいた上で読み進めようとしているみなさんにまず伝えたいことは、私が言うのもおこがましいですが、あなたはすでに十分にがんばっているということです。もしかするとうまくいかないことだらけの日々で疲弊しているかもしれません。でもそのことで自分自身を責めないでください。もちろんパートナーのことも。あなたがいま直面している問題には明確な原因がなかったり、逆に原因が多すぎてそれが複合的にからみ合っていて、とても特定できるような代物ではないと思われます。どうしてうまくいかないのか、どうしたらうまくいくのか、そういう考えを捨てることが、まずはとても大切なことだと私は思っています。

 

私自身、妻と離婚する夢を見て何度もうなされてきました。そんな私ですが、いまはほぼ出産前の状態に戻った妻と協力して育児に取り組み、毎日を楽しく過ごしています。だからあまり悲観的にならないでもらいたいと願っています。以下の文章がみなさんの気持ちを少しでも軽くするための一助となれば嬉しいです。また、以下については私自身の書きやすさのため「である」の文体で書くことをご了承ください。

 

***

 

我が家には3人の子どもがいる。

7歳と4歳と1歳。

出産のたびに、妻は心身の調子を崩し、夫婦間のトラブルも多発した。そんな状況下でよくもまあ、3人も子どもを設けたなとあらためて振り返っている。

 

第一子が誕生したとき、ぼくはロマンチストだった。出産というものに対して過度な理想を描き、家族をこの上なく幸せな状態に導くものだと思っていた。育児は大変なものだという認識は多少持っていたけれど、それまでの人生をおおむね順風満帆に過ごしてきたぼくはがんばればきっと乗り越えられると思っていたし、乗り越えた先にはいまだかつて見たことのない鮮やかな景色が広がっていると思っていた。

 

そんなぼくの理想は出産翌日からことごとく崩れていく。その様はこのブログでいろいろ綴ってきたので、そちらを参考にされたい。とにかく驚くほどの音を立てて崩れていった。それを機にぼくは自分の認識の甘さを反省し、働き方を見直し、定時退社を徹底し、家庭での料理をすべて引き受け、保育園の送迎、小児科受診など、可能な限り家事と育児を優先した。そうこうしているうちに、妻の心身も落ち着き、第二子を設けようかという話になっていく。

 

ありがたいことに妻は第二子を妊娠し無事に出産するが、その後も大きく心身を崩した。ただ、第一子のときの経験が夫婦ともにあったので、以前よりはスムーズに(それでも大変だったことに違いはないが)乗り越えられたように思う。長男のときほどに、長女は体調を崩さなかったことも大きいかもしれない。長男は3歳までに5回の入院を経験したが、長女は1回だけだった。また当時、妻が仕事において充実感を持っていたのも大きかったように思われる。

 

そして私たちは第三子を設ける。やはり妻は心身を崩した。三番目なので夫婦ともに経験はかなり積んでいるはずだったが、今回は育休が1年以上に伸びたこと、そして長男の小学校入学が重なったこと、他にも理由はあっただろうが、ぼくの目から見るとこの2点がとても強く妻に影響を及ぼしたように見えた。

 

そのころの妻は、顔色が悪くげっそりしていて、なにをするのもおっくうというか、しんどそうに見えた。何かを話しても私の声が届いていないような感じがあり、頭が回転していないように見えた。そのときのぼくは正直なところやれることは最大限やっている感があって、これはもう、専門の病院を受診したほうがいいように思えて妻に提案した。

 

心療内科の受診を勧めるというのは「うつ」という病気に関して理解が乏しいと、ハードルが高いことかもしれない。大事なことは、現代において、うつ病はまったく特別な病気ではなく、だれでもなり得るのだということを夫婦ともに理解することだろうと思う。ちなみにぼくは妻に「心の風邪みたいなものだよ」と声をかけた。

 

いざ受診をするとなるとどこの病院にしようかと迷うと思うが、とりあえずどこかを受診してみて、合わなければ別の病院という感じで気軽に構えておくとよいと思う。例えば髪を切るとき、美容室がたくさんあって迷うと思うが、とりあえずどこかで切るでしょう? そして合わなければ次は別のお店にするでしょう? それと似ている。ただ、たとえ評判がよくとも、あまり遠い病院はお勧めしない。通院しやすい距離というのは、うつの患者にとっては結構大事なことだと思われる。

 

心療内科を受診したあとの妻はいくぶん調子を取り戻した。薬は漢方のみだった。薬の効果もあったとは思うが、先生といろいろ話せたことがよかったように思われる。育児の悩みを打ち明けられる相手が、パートナー以外にもいるということはとても大事なことだ。

 

しかしながら、心療内科に過度な期待を寄せるのもあまりよくないだろう。うつは、インフルエンザのように特効薬があるわけではない。いったんよくなったと思ってもすぐに悪化する。肩こりや腰痛に似ている。一度発症すると、日によって調子がよかったり悪かったりということがあってその症状と上手に付き合っていかなくてはならない。

 

さてここからはぼくたち夫側が気をつけるべきことについて触れたい。

 

まず、妻がうつになった原因を探ろうとしないこと。ぼく自身がそうだったのだが、きつそうな妻を見ているとその原因を探り解消してしまいたくなる。ただ、うつについては、これは語弊があるかもしれないが、基本的に原因はないと思ったほうがいい。もちろん、育児のストレスだったり睡眠不足だったりそれらしい原因はたくさんあるのだけど、まず、パートナーに「なにがつらい? どうしてほしい?」と聞くこと自体がパートナーのストレスになりかねない。そして聞いたところで、おそらくパートナーは的確に答えきれないだろう。ぼくの妻も「これといって理由はないの。あなたも本当に助けてくれてるし」みたいなことをよく口にした。

 

パートナーがきつそうにしていると、なんとかしてあげたいという気持ちになるが、まずその気持ちを捨てよう。パートナーのうつに悩み、わざわざこの記事を見てくれているみなさんは、たぶんすでに十分育児や家事にかかわっているはずだ。だから、いまさら「もっと育児や家事に積極的に関わってパートナーの負担を減らしましょう」なんて安っぽい言葉はかけない。そこから解決につながることは、おそらくない。

 

ではどうするのか。

まずは「きみのことが好きだよ、誰よりも大事だよ、いつでもそばにいるよ」こういった言葉をかけてみよう。もしくはハグをするのもいいかもしれない(嫌がられなければ)とにかくあなたのパートナーのしぼみきってしまった自尊心をもう一度ふくらませなければならない。それには我々夫の、しらふでいうには恥ずかしいようなセリフをハリウッド映画顔負けで語り続けることが必要だ。上にあげた言葉はなんかうそくさい、わざとらしいと思うかもしれないが、そんなことはないはずだ。この記事を見ているあなたは、きっとパートナーに対してそういう気持ちでいるはずだ。普段なら恥ずかしくて口をつぐんでしまうような言葉をパートナーに語りかけよう。もちろん、あなた用にアレンジしてもらってかまわない。

 

あなた自身、ひとりになりたいと思うことがあるかもしれない。大いにけっこう。それは自然なことだ。ぼくらが心身ともに元気でいることはかなり大事なことだ。おろそかにしてはいけない。仮にぼくらが体調を崩すと、そのしわ寄せがパートナーへといきがちだ。そうならないためにも息抜きは大切。自分がひとりになる時間を持つことによるパートナーへの負担が気になるのであれば、子どもたちが寝付いてから外出してもいいし、場合によっては有給休暇を取得してもいいだろう。第三者に子どもたちをあずけられるのであればそれもいい。

 

もしパートナーから「○○したい、○○してほしい」という要望があったときには、可能な限り少々無理をしても実現させよう。例えば我が家の場合、第三子が待機児童だったのだが、待機児童のあいだ、パートナーがとある保育園に預けたいと言い出した。その保育園は月極の制度がなく、かなり高額な費用を要したので、ぼく自身は別の保育園のほうがいいのではないかと思っていたのだが、そのときは妻の希望を優先させた。もちろんなんでもかんでもパートナーの希望通りというわけにはいかないのだが、例え費用がかかるようなことであっても、その費用は妻の心身回復のために使われるのだという認識を持つことで抵抗感が減るかもしれない。

 

上の話とも関係するのだが、妻は運命だとか前世だとかに興味を持っている。(これは第三子を出産したあとにぼくも気がついた)そして同じように興味を持っている友人とちょくちょく会っていた。ある日妻が、そのグループのメンバーにぼくを会わせたいと言ってきた。正直に言って、ぼくはそのグループについてうさんくさいイメージを持っていたのでそれほど乗り気ではなかったのだが、なかなか外に出たがらない妻が会ってほしいと言っているのだからと思いきって会いに行った。

 

そのグループでの会話は、ぼくからすると突っ込み所満載でなかなか共感できるような内容ではなかったのだけど、ぼくはその会に参加してよかったと思っている。なぜなら、普段なら妻に言いたくても言えないようなことを、その会の中でたくさん話すことができたからだ。その会の趣旨は、アプローチこそぼくのそれとは違えど、夫婦の関係性をよりよくしていこうというもので、とても親身にぼくの話も聞いてくれた。そして妻が信頼している仲間を介していることで、普通に話せば角が立つような内容であっても、時には笑いを交えながら打ち明けることができた。このグループに対して、ぼくはとても感謝している。先入観を持たずいろんな人に会って話を聞くことはとても大切。特にパートナーが大切に思っている人ならばなおさらだ。

 

それからあなたの性的な欲求について。

この問題も非常に深刻だ。というのも、うつ病を患ったパートナーとはそういう機会を持ちにくくなるからだ。これについては、日を改めて書きたいと思っているが、簡単に触れておくとタブー視しないこと。そんなこと考えちゃいけないとか、パートナーにこの手の話題を振っちゃいけないとか、制約を設けず、大らかな態度で臨むことがよいと思う。もちろん、浮気に走るとかそういうことではなく、パートナーとのあいだで性に関する問題意識を共有して、いずれは解決していきたい(でも急がない)ということを念頭において、フランクに話し合える空気を醸成することが大事だと思う。ぼくの妻はこの点、かなりオープンというか進歩的だったので、そういった意味では苦労はあまりなかったが、この問題がかなり大きくなる夫婦もたくさんいると思われる。

 

ところであなたは、パートナーの前で号泣したことがあるだろうか? ぼくは二度号泣した。長男が生まれたあと、妻の変化にまったく追いつけなくて家に帰るのも嫌になったとき。そしてもう1回は第三子が生まれて1年以上が経過して心身ともに疲れはてたとき。妻に対してもう自分は限界だということを話していたら、なんかとめどなく涙があふれてきた。1回目のことはかなりの年数が経ってしまったので記憶が曖昧だが、2回目のとき、妻に洗いざらいぶちまけたら、意外なことに妻は少し喜んでくれた。

 

おそらく普段は理路整然としているぼくが、感情的になって弱い部分を隠すことなくさらけ出したことが、かえって妻には信頼の証として映ったようだった。これは狙ってやったことではないけれど、ときには弱みを見せるのもいいのだと気づかされた。自分の気持ちを飾らず、ありのままでパートナーに接することが功を奏することもあるので、心の片隅にでも残しておいてもらえればと思う。

 

ずいぶんと長くなってしまって、それなのに十分に書けていないこともあるように思うが、同じように悩んでいる人たちの参考になれば幸いだ。この話題については、機会があれば少しずつ書きためていきたいと思う。

 

それと同じように悩んでいる男性(もちろん女性でも構わないのだが)で相談の相手がおらず悩んでいるときは、ぼくにツイッターで話しかけてもらっても構わない。ぼくは専門家でもなんでもなく、ただ経験者というだけで大して力になれないと思うが、お話しくらいは聞けるので。ぼくもこの件については助けられた人間のひとりなので、同じく悩んでいる人を助けることで、少しでも恩返しができればと思っている。

 

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息子が宿題をしないことに対する不安は息子のことを思うがゆえなのだろうか。

小学2年生の息子が今日も宿題をしなかった。

今日もというと何日もやっていないように聞こえるが、昨日に続いて今日も、という程度でつまり2日間だけ。それなのに今日もやらなかった、と深刻に悩む自分がいる。

 

宿題をやらない息子に対して、あめとムチを使い分けながら、宿題の多さに共感したり君ならできるよと励ましてみたり、いろんな方法を試してみるがどれもうまくはいかない。息子はティッシュの箱が空になるほどに泣いて、晩ご飯も寝る時間も遅くなって、こちらもぐったりとして、息子が寝てひとりになったとき、ふと、こんな思いまでして宿題をさせることに意味があるのだろうかとぼんやり考える。

 

どうして宿題をさせようとするのか。そこには息子が宿題をしないことへの不安がある。ではその不安とはなにか。勉強についていけなくなるかも、という不安は確かにある。でもそれだけじゃない。たぶん、宿題は必ずやらなければいけないものという強い強迫観念がある。息子にではなく、私自身にだ。

 

それを裏付けるように息子が宿題をやってくれるとほっとする。その「ほっ」は、息子の学力がついた、という「ほっ」じゃないんだよな。やるべきことをやってくれた「ほっ」。息子のことを考えているようで、実はなーんも考えてないような。

 

最近、息子の指しゃぶりが増えている。小学2年生にもなって。それを思いかえすと、いま本当に必要なことは宿題を無理矢理にでもさせることじゃなくて、宿題ってめんどうだよね、いやだよね、できなくても大丈夫だよ、と声をかけて、楽しく食卓を囲んでぐっすり休むことなんじゃないのか。明日は宿題がんばろうね、と声をかけるくらいで十分で、きっと明日も宿題をしないと思うけれど、だからってペナルティーを与えるとかじゃなくて、次の日もまた同じように「明日は宿題がんばろうね」て優しく声をかけつづければいいんじゃないかな。そうしたらきっといつか、自分からできる日が来るんじゃないのか。僕が無理矢理に宿題をさせようとするのは、そんな日が来るはずはないと勝手に決めつけて、息子を信頼していないんじゃないのか。

 

今日、息子が寝るとき「本を読んでほしい」と言ってきた。そんな息子に僕は「何時だと思ってるの、早く寝なさい」と言ってしまった。本好きな子どもになってもらいたいと思って、リビングからテレビを撤去して本をたくさん置くようにしたっていうのに、せっかく息子が本を読んでほしいと言ってきたのに、それを無下にあしらってしまった。あのとき本を読んであげることが、どんなに遅い時間だったとしても、息子にとっては宿題をさせることよりも大切なことだったんじゃないかっていまになって思う。

 

明日はもう、宿題をやりなさいって言うの、やめよう。

そしてたくさん、本を読んであげよう。

宿題をさせることに力をそそぎすぎて、なんかとても大切なものを見失いそうなので、備忘録として残しておく。

 

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私(男)が「出産を経て〜」と言うと笑う人たちがいる。

先日、同窓会に参加した。

その席で、この10年ほどのあいだ、どんなことがあったかをひとりずつ発表することになって私(男)は「結婚と出産を経まして〜」と発表した。すると会場内から笑いが起こった。

 

人前で話すときウケをねらってしゃべることはあるが、このときはまったくそんな意図はなかったので、正直、笑われたことが意外というか、納得がいかなかった。笑われた理由は落ち着いて考えれば分かる。男のあなたが出産はしないでしょ、子どもを産んだのは奥さんのほうでしょ、とそういうことだ。ちなみに聴衆の男女比はほぼ半々で、別に男性から笑われたとか、女性から笑われた、という話ではない。

 

こんなことを書くと自分を美化するようでそれは本意ではないのだけど、私としては妻とともに出産を乗り越えたという自負がある。出産前には妻が切迫早産で入院をしたこともあったし、次男の出産前には長男と長女の保育園の送迎をしたり、ご飯を毎食作ったり、たしかに私はお腹を痛めてはいないけれど、妻とともに出産を乗り越えたと思っている。だから自分の感覚としては「出産を経て」という発言は自然なものだった。

 

そんな私の発言を笑われて、ちょっと私は残念で悲しくもあった。もちろん聴衆に私をさげすむような意図はなかったことは分かっている。10年ぶりくらいに会った気心知れた旧友なのだから。それでも私は釈然としなかった。

 

ただその一方で、私が「出産を経た」というのは世間一般の感覚から言っておこがましいことなのかもしれないとも思う。それはやっぱり、私自身はお腹を痛めたわけではないから。同窓会のときは笑われただけだったが、時と場合によっては、怒られるような発言だったのかもしれない。お前(男)が出産を経たなんて軽々しく発言するなと。お前に出産の痛みは分からんと。そう思うと、やはり男が出産というワードを口にするものではないのかもしれないという気になる。

 

しかしそういう風潮はあまり好ましくないのではないか? イクメンという言葉でさえ、もはや新鮮味のなくなったいま、出産を女性のこととして捉えず、夫婦のあいだに起こる一大事として考えるということはむしろ自然なことだし、いまの世の中が向かうべき方向なのではないだろうか。

 

よく「出産後、母親はすぐに母親としての自覚を持つことができるが、父親はなかなかその自覚を持てずにいる」なんてことを聞くけれど、その一方で、男性が出産という言葉を口にすると笑いが起こるような風潮が残っているのが現実なのだ。妊娠が分かったときから、男性も女性と同様に心構えを持ち、出産と向き合い、産後を乗り越える。それが自然なことになれば、おそらく男性も胸を張って「出産を経まして〜」と言えるようになるのではないだろうか。そんな世の中になればいいのにな、と思う。

 

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